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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 北国の使徒たち 2


今日は佐渡ヶ島へ! 佐渡には殉教地があるので行きたいと思っていたけれど、こんなに早く行ける日が来るとは思いませんでした。

天が与えてくださった機会だと思うので、感謝して行きたいと思います♪



佐渡汽船


数日前まで台風が直撃するとの予報が出ていて、前日も大雨強風警報が発令されていたので、フェリーが欠航になるかと思ったのですが大丈夫になり、ちょい時化くらいで海へ。

新潟港でも、佐渡汽船の乗り場はすでに佐渡。車止めがトキだったり(o^^o)


佐渡推し

土産物

人間国宝の作品


カーフェリー


愛車のフィットも共に渡ります。佐渡汽船の期間限定企画で「おけさ海道プラン」というのがあり、車での利用がお得なのです。

初めてのカーフェリーで緊張すると、夫は言っていましたが、車を停めて落ち着くと、楽しくなってきたみたいで、船内のスタンプラリーに出掛けてました。

子供用だと思うんだけど・・・w


2等客室

船酔い来るなー

船内

スタンプラリー

海鳥


少し揺れるものの、大型船はやはり安定しているので、船酔いしなさそうと分かり、私も少し甲板へ。

乗客がまくエサ目当てに集まる海鳥が、「今日は風が強いね」とばかりに首を縮めていました。

船で島に出掛けるということだけでも、どこか違う世界に行けるようなスペシャルな気分になれます☆


海鳥

海鳥

船内

乗船記念


佐渡ヶ島


佐渡への旅は2時間半。2時間も乗ると島影が見えてきます。「佐渡ヶ島」って感じですね。

「鬼が島」みたいで、ちょっと異界風のネーミング。住んでる人には失礼かもしれないけど。

長く流人の島だったことを思うと、そのイメージも重なって、ますますミステリアスに思えてきます。


甲板

波は高め

風も強い

トキ

両津港


さて上陸。右も左も分からないのに、先頭です。とりあえず下りて駐車場へ。

スタンプラリーの景品をもらいに佐渡汽船のターミナルに行き、キャラクターシールと観光地図をゲット。

珍しく「観光してるな」と思ったり。


港湾施設

佐渡おけさ

佐渡上陸

地図

カトリック佐渡教会


では早速巡礼へ。カトリック佐渡教会へとやってまいりました。田舎としか言いようのない町の一角にある、白い小さな教会。

献堂から100年を超える歴史を有しながら、この慎ましやかな風情を保てていることが貴重です。

手の中でずっと転がしていたくなる珠のようです♪


カトリック佐渡教会

佐渡百選

ルルド

幼稚園

聖堂内


中に入ると、キマシタ!私が好きな畳の教会堂。

教会なのに畳の匂いがする。こんな素敵なミスマッチがあるでしょうかっ。

やっぱここは正座でお祈り。いや、足崩すくらいはいいかな。近しく神さまに会う場所なのだから。



祭壇

堂内


後方

佐渡金井キリスト教会


ネットで検索してみたら、意外にも佐渡には結構教会があります。こちらは佐渡金井キリスト教会。日本同盟基督教団の教会ですね。

近くに明治紀念堂というものがあり、敷地内にはロシア兵の墓や殉職者の碑が。佐渡は辺境の島ではなく、あらゆる時代に存在感を示してきたんですね。


佐渡金井キリスト教会

ロシア兵の墓

明治紀念堂

殉職の碑


 では中山峠のキリシタン塚へ!!


標識


それでは一番の目的地である、中山峠のキリシタン塚へと向かいましょう!ここに行けるように数年前から願っておりました。

急に行けなくなるとか、そんなことあったら目も当てられないので、回る順番とか考えずにとにかく向かいたいというのが本音だったりして (;^ω^)アハ


キリシタン塚へ

中山一里塚

解説板

案内地図

中山旧道入口


中山峠のある中山旧道(相川街道)へは、佐和田方面から北上しても、相川方面から南下しても行け、距離はどちらからも同じくらい。

私たちは両津港から来たので、佐和田から北上することにしました。旧道への入口には車一台ほど停めるスペースがあるのみ。

昨日からの雨の影響で、足元はぬかるんでいて、歩きにくいですが、これくらいは想定の範囲内。張り切ってまいりましょー☆


亀甲石

解説板


倒木も


中山峠一里塚や亀甲石など、ちょくちょく解説板と地図が出ているのに励まされて、足取りも軽く街道をゆきます。

今は峠の下をトンネルが通っているので、ここを通る人はめったにいませんが、往時はここが街道だったんですね。昔の街道って、随分と山の中を通っていたんだなと。

途中倒木もあり、よっこいせとまたいで奥へと進みます。道が無くならない程度に一応下草を刈ってくれているのですが、所々地面が見えなくなっていることも。顔くらいの高さに伸びている枝も、目を突き刺しそうで要注意ですね。




草に覆われる

野草

どっち!?


緑が深いとはいえ、平坦なので調子よく進んできたのですが、道が二手に分かれているとは。しかも標識ナッシング。ここは勘に頼るしか・・・?

勘に頼って左に進んだら、民家に出て道が絶えました。右だったんですね。上を見ると右の道には電線が通ってます。そっか、それで標識ないのねーって、それでも出してよ!



ビューポイント


少しだけ登り道になっている所を登りきると、視界が開けて海まで見渡せるビューポイントに♪

加藤一族の墓跡の前で、ちょっと侘しい雰囲気漂っていますけど。

歴史が刻まれた土地は、どうししても陰を帯びますよね。


加藤一族の墓跡

解説板

海まで見える

キリシタン塚


やっと着きました、キリシタン塚。入口からは、私の足で20分ほどでした。

山の中にある、静かなサンクチュアリといった感じ。聖地として整備されていて、聖母子像と花が彩りを添えています。


解説板

キリシタン塚

丘への階段

聖母子像

キリスト磔刑像


キリシタン「塚」と言うくらいだから、塚がポコポコあるのかと思っていましたが、なだらかな丘陵を聖地とした感じ。

解説板によって、殉教者の数が違うのも不自然。一体ここが殉教地であるという証拠はどこにあるんだろう・・・?

疑問に思って史料ベースで振り返ってみると、やはり「キリシタン殉教地」もしくは「埋葬地」である確証はなく、処刑されたキリシタンの数もよく分からないようですね(↓)。


佐渡のキリシタン


「イエズス会年報」によると、1604(慶長)9年、京都の伏見から熱心なキリシタンが来島し、1年半ほど留まって宣教したことがあり、また1619(元和5)年以降に2人の外国人神父が来島したということです。佐渡には抗夫としてキリシタンが入って来て、金銀山で働きながら信仰生活をしていたので、宣教師が巡回をしていたんですね。

1612年以降、江戸や幕府直轄地ではキリシタン禁令が発布されて取締りが厳しくなったため、信徒たちは佐渡に流れてきて、ここで生きる道を見つけていたのでしょう。しかし天草島原の乱が起こると、幕府はキリシタンを根絶やしにすることを地方にまで徹底します。そこで乱が起こった1637(寛永14)年か、あるいは鎮圧された翌年に大規模なキリシタン処刑が行われたもようです。



キリシタン塚

磔刑像

解説板

顕彰碑

どんぐり


「佐渡国略記」の1637(寛永14)年の記述には、「当丑年、肥前国天草切支丹宗門一乱之節当国ニ茂右宗門之者有之人数百人計中山ニ死罪、一説ニ慶安三寅年右党之者四拾六人死罪之由」とあります。

また「佐渡年代記」には「今年肥前國島原の乱に依て彌切支丹嚴禁を被仰出に付佐州をも遂詮議処党類数十人ありしにより中山と云所にて死刑に行ふと云」と書かれています。

つまり1637年頃、キリシタンが「百人計」(百人ばかり)か「数十人」処刑されたということですが、この差は・・・、要するに正確に分からないことを示しているかと思います。更に殉教地については「中山」と書かれているだけです。ここをピンポイントで殉教地だと宣言してしまうのは、どうなんだろうなぁ。


なぜ「キリシタン塚」になったのか


ではなぜここが「キリシタン塚」になったのか、ですが、それにはカトリック信者の大江雄松という伝道士の存在があります。彼は教会の人から中山に殉教者の塚があると聞き、大正時代初めにここを発見。この地を周辺を含め町から買収し、発掘調査を行いました。が、何も出ませんでした(カトリック教会では今でも「深く掘り過ぎたためであろう」と解釈しているようです)。

ところがその後ここを訪れて調査した岩木という人が論文を発表し、古墳とするには形状が合わず、一里塚とするには距離が合わず、庚申塚等とするには人家から隔たり過ぎているなどのことから、キリスト教関係者に会うたびに「(ここが)切支丹塚とすれは最も当を得たるもの」と話したため、キリシタン塚として一般に知られるようになったのです。

私見としては、完全にブーとは思いませんよ。殉教地や埋葬地の可能性はあります。だけれど、他の場所の可能性もあるのに、ここがそうだと(一般の人が訪れたらそう思っちゃうくらいに)解説板や顕彰碑を建てて聖地のようにしてしまっているのは・・・、うーん、アリなのかなぁ。もう少し解説板を正確に書けばアリかもしれないですね。

例えばキリストの誕生日は聖書に書かれていないけれど、人々はそれを祝いたくて冬至の日をクリスマスに定めました。この、キリストの誕生を祝いたかったというところに、心が惹かれると、遠藤周作は言っていたかと思います。佐渡で殉教したキリシタンたちを覚えておきたかった。だから中山のどこかは定かでなくても、ここを「キリシタン塚」とした、というのは、私も心情的には非常によく理解できます。



新しいお墓



アジサイ

峠の茶屋跡


キリシタン塚の隣は峠の茶屋跡。その昔、諸国から送られてきた無宿者たちにここで甘酒が振舞われたが、「ここを下れば金山だぞ」といわれて、だれもお代わりを求めるものはなかったと説明板に書かれています。

でもこれだけではちょっと分かりにくいですね。金山での労働は辛く厳しいと聞いていたため、無宿者たちはお代わりを欲する心の余裕がなかったという意味です。読みようによっては反対の意味になってしまうので要注意。

でも茶屋の横で処刑って、やるかなぁ。。佐渡には奉行所があったから、そこで取り調べをして、キリシタンだとされたら、相川の町や中山街道を市中引き回しみたいに連れられて来て、ここで処刑されたのかな。あり得なくはないけど、だったら骨は出そうなもの。「百人計」の遺体を山から下して埋葬って、手間を考えると「やるかな?」と思ってしまいます。



解説板

地図

花々

アジサイ


 大久保長安の足跡を追って


相川町


中山旧道を戻って、国道350号へ。相川町へと向かいましょう。相川は、佐渡が金山で栄えた頃に一番の繁華街だった所ですね。

抗夫やその家族、役人たちや各種の職人も暮らし、繁華街なので遊女もいた訳で、寺にはそれらの人々の墓があります。


疎水坑道

幼稚園

大安寺


坂の中腹に広がるのは、1606(慶長11)年に、初代佐渡奉行・大久保長安が創建した大安寺

本堂には「三つ葉葵」の寺紋を染め抜いた幕が翻っています。

長安が自分のために生前に建立した逆修塔、黎明期の佐渡金銀山の開発に努めた河村彦左衛門の五輪塔があり、両者は国指定の史跡となっています。とりあえずその二つはチェックしなくては。



大久保長安の逆修塔


キリシタンとの関わりが噂される、大久保長安の逆修塔は本堂の手前にあったので、難なく見つかりました。

思ったより小さいですね。権勢を振るい、この寺だって建てちゃったというのに。死後、謀反人として処刑されたからでしょうか。

処刑と言っても、すでに死んでいるので、墓を掘り起こされて晒されただけですが。・・・と考えると、逆修塔があるだけでも御の字か。御ってことはないかもしれないけど (-"-;


大久保長安の逆修塔

河村彦左衛門の五輪塔

本堂

高台に建つ

森知幾の墓


あ!と思ったのが、本堂前にある「森知幾之墓」

解説板が建てられていたので読むと、この人、内村鑑三の影響を受けたと書かれています。墓の形状からして、クリスチャンだったとは思えないけれど・・・。

調べてみたら、森知幾(もり・ちき)のお兄さん、柏倉一徳は、熊本師範に在職中の若い頃、熱心なキリスト教信者で、徳富蘇峰と共に布教活動するほどだったそう。

知幾の方は、内村鑑三に私淑し、幸徳秋水等と交友し、キリスト教社会主義思想の影響を受けただけのようです。部落解放運動に挺身し、私設明治学校を開設して校主となり、「佐渡新聞」を創刊した功績によって、ここに解説板が建てられているみたいです。内村鑑三の名前をこんな所で目にするとは思ってなかったので、おおおーと思いました☆



森知幾の墓

解説板

墓域

山門

相川郷土博物館


坂を下って、また坂道を登り相川郷土博物館へ。ここは元御料局(明治憲法下で皇室財産を管理した)の佐渡支庁なので、屋根瓦は菊の御紋入り。建物は国指定史跡です。

1階から3階までの展示室には、金山と佐渡奉行所などを紹介していて、その中に黒いマリア観音と伝わるものがあると聞き、やって来ました。


明治期の鉱山

元御料局

石造物

黒いマリア観音像


お目当ての像は、1階展示室の右ウィング、壁際にありました。

「マリア観音」などと聞くと、「誰がいつ、どのような根拠でそう判定したのだ?」と問いたくなる、アタマの固い私ですので、当然半分疑いの目で見る訳です。

それでいながら「マリア観音」と聞くと、どこへでも見に行こうとするくらい、関心と執着は人一倍強いのだから、一体どうしたいのか、自分でもよく分からないのだけど。

そんな疑い深く、それでいて関心高すぎる私には、結局「どっちとも言えない」という感想しか浮かびませんでした。それじゃ、実際に見た意味ないじゃんって感じですが。佐渡には他に2体、計3体のマリア観音が伝わっているそう。見た過ぎる・・・。いや、見ても判別はできないのだけど、やっぱり見てみたいですね。



展示室

黒いマリア観音像

蔵の扉

展示室

遊女


展示室には「遊女」と書かれたブースがあって。そこだけ急にリアルに人形で再現されています。

金山と遊女が一つのセットだったのか。遊女が恋人と遊郭から逃げて心中したなんていう墓がゴロゴロあるようです。

そのことを節に乗せて歌う「心中口説(しんじゅうくどき)」というものがあり、町の人たちは盆踊りで、これを歌い踊ったって、マジですか・・・((+_+))!?


金山の遊郭

遊女との相対死

心中口説

心中口説


 復元された佐渡奉行所


佐渡奉行所


何でもアリになっている昨今の音楽界でも、フェスで心中を歌って踊ることはないわなと、江戸時代の人々のメンタリティーに少々衝撃を受けながら、佐渡奉行所へ。

厳めしい門構え。ここがキリシタン処刑のの謎を解くカギかもしれません。少なくとも、ここの役人がキリシタンを捕縛、処刑したはず。

城攻めで本丸を落とすみたいに、キリシタン殉教地の謎を解いて、スッキリできるといいんだけど。足軽風情の私では無理かなぁ。。(なんで足軽か分からないけど、そんな気が



解説板

奉行所跡

玄関

奉行所跡

御裁許所の御白州


さて佐渡奉行所は、幕府の財政を支えた佐渡金山を管理していた役所。その当時の図面を元に忠実に再現されています。

時代劇でお馴染の「御白洲(おしらす)」もちゃんとあります。

長崎の歴史博物館にも御白洲はあるけれど、ここは草鞋を履いて下に下りて、裁かれる感じを罪人目線で味わえるのが醍醐味(?)。下りて正座してみたら、結構痛いです。小石のゴロゴロ具合が。裁く人を見上げる、この角度も嫌なものですね。キリシタンもここに座らされたかな?座らされただろうな。



御裁許所

御白洲

草鞋を履いて

見上げる角度

埋鉛


奉行所にしては珍しく、佐渡奉行所には金の精錬・加工をする「勝場(せりば)」が併設されていて、これも見ものの一つ。

展示品の中には、精錬に使われた「埋鉛」があり、何気なく置いてあるのですが、これ国の重要文化財だそう。盗まれちゃわないかな。

建物内にはもう1か所、吟味所の御白州というものもあり、こっちはさっきのより小規模。だけどその分圧迫感があります。裏口から入れて、少人数で有無も言わさず「吟味」という名の拷問を加えて、無理やりにでも吐かせちゃうようなプライベート感があります。悪く捉え過ぎですかね。



埋鉛

埋鉛

建物内

吟味所の御白州

復元されていない部分


佐渡奉行の表の方は細かく再現されているのですが、奥の方は礎石を並べて、建物があった場所を示しているのみ。

それでも十分規模が分かり、閉鎖的な空間と、よりオープニングな所とがうかがえて、なるほどなと思います。

奉行所から一段下がった所に「勝場」はあり、一線を画していたんだなと。併設されていたのは守るためであり、奉行所の業務と「勝場」とは別々に運営されていたように見えます。



勝場

勝場解説板

馬場

記念碑

道遊の割戸


佐渡金山に向かって走っていると、道遊の割戸という景勝地に。

これは江戸時代の露天掘り跡。巨大な金脈を掘り進むうちに山がV字に割れた姿になってしまったのだとか。

金を求める人間の欲が、山を割るほど凄まじいことを表しているようで・・・。キリシタンも見たのかな?掘ってる人の中にいたかもしれないですね。



佐渡金山


それでは史跡 佐渡金山へチェックイン。江戸と明治、2つの史跡めぐりコースから選べるのですが、迷わず江戸の方へ。

江戸金山絵巻(宗太夫坑)コースでは、人形を使って当時の採掘作業を忠実に再現しているとのこと。

私にしてみたら、佐渡キリシタンの職場見学ですかね。当時は見学できるような気楽なものでは決してなかったでしょうけど。


宗太夫坑

宗太夫坑

江戸時代の鉱山坑

坑内


坑内に一歩入ると、クーラーのような涼しさに包まれて、外が暑かったので一瞬うれしかったのですが、その後からまとわりついてくる湿気が曲者。小一時間もいたら軽いリューマチになれそうな。

時折ピトンピトンと落ちてくる水滴も、正直薄気味悪いです。大体、暗いですしね。。

進んで行くと、そんな中にぼうっと浮かび上がる人形たち。地味な音を立てて単調な動作を繰り返しているだけなのですが、今どきの人形はなかなか精巧にできているから、光の宿っていていない人形の目が、「キャー」って感じです。



坑内

坑内

解説板

解説板


坑内


なんつー闇!

ふと坑道を覗いたら、下へと延々伸びていて、そこに多くの人がうごめいていました。これって反則です(*_*;

地獄がこんな所なら、もうウソつきません!悪いことしません!悪いことしたことを悔い改めます!!(・・・私には道徳的効果がありそうデス



解説板

解説板

祈願

解説板


宗太夫坑を出て


出口の光を求めてふらふらと地上に戻り、一人で一晩泊まれと言われたら、100万円積まれても絶対やだわと嘆息(いや100万ならちょっと考えるかなとも思う)。キリシタンの職場見学は苦いものに終わりました。

宣教師はここまで来たのかな?金山は盗みを働かせないために厳重に見張られていたから、外国人が紛れて入るというのは無理そう。でも信徒が心配で、近くまでは来たかもしれないですね。

その辺のことも分かるかもしれないと、坑道を出た所にある資料館へ。展示に使われているミニチュアがすごいです☆


資料館

解説

館内

ミニチュア

展示室


金山の中の様子から、金の採掘、精錬、加工、検査など、江戸まで運ばれるまでの過程が事細かにミニチュアで再現されていて、勉強になるの何のって。

でも一場面ごとに全力投球で作られたミニチュアが、あまりにも細密で、見ているうちに、作った人の性格が気になってきてしまいました。

相当粘着質でないと、ここまではできませんね。私もキリシタンを追って津々浦々まで行ってるので、人のこと言えないですが。それと同じく当時の金山での管理もかなり粘着質で、アリの抜けだす穴もない感じだったようですね。ここで働くって、フリーさがなくて、ずっと抑圧された感じだったと思います。

穴の中に閉じ込められて、そこから(心理的にでも)出てくるには天を仰ぐしかなかったのかと。キリシタンが逃れの町で見つけたものは、生の先にある希望だけだったのかもしれません。それは天国で主に会うこと――。命の危険マックスの状況で、信徒は永遠の命を考えていたんだな。



ミニチュア

ミニチュア

大久保長安の勧請祭文

展示室

大久保長安の勧請祭文


気になったのが、大久保長安の勧請祭文。大久保長安が金山の繁栄を願って神道の神を勧請した文書です。

長安、完全にキリシタンじゃないじゃん!

キリシタンだったら、こんなことするはずありません。金の精錬の仕方がナントカって言いながら、大久保長安キリシタン説を唱える人がいますが、そういうのってほんの一部しか見ないで言うことです。また宗教的な理解が伴っていないからそう結論付けるんだと思いますし。はああ~(深いため息)。



佐渡小判


佐渡小判をフューチャーしたコーナーでは本物の金塊に触れられる展示が。

金塊がどのくらい重いのかを体感できるよう、片手をケースに入れて持ち上げるのです。

重いんですね、金って。小判もキレイなもんだなと思いました。小学生並みの感想ですけど (^▽^;)


小判

金塊

坑道

小判コレクション


 町を見て宿へ☆


京町の鐘楼


金山から相川の町へ戻り、京町の鐘楼へ。時を告げる鐘ですね。

ここが一番の繁華街だったなんて、全く信じられませんが、時の流れとはそういうものなんでしょう。

この緩やかに曲がった小道を、キリシタンも行き来していたはずだけど、どんなことを考えていたのか・・・。


鐘楼

解説板


アジサイ

本日の宿


本日の宿はベルメールYH。YHとはユースホステルのこと。YHは会員になると安くなるのですが、「おけさ海道プラン」のおかげで会員料金と同額で泊まれることに。

こういうプランも旅に出る後押しをしてくれるものですね。背中を押してくれるというか。目の前は海。夕飯までの間、海岸に下りてみましょう♪


前の浜


日本海側はたくさん雪が降って、荒波がドッパーンというイメージだったけど、陽光の降り注ぐ明るい所だなというのが、来てみての発見です。

特に今日なんてお天気はイマイチだったのに、暗い感じはあまりなく。史跡をめぐれば、歴史がある分、陰の部分にも触れますけど、それでも私の印象は、やはり陽光の島。明日もあるから楽しみだな。


顔のような岩

岩から緑

夕暮れ

自然

夕餉


夕餉は、漁師もやっているオーナーの獲った魚で。サザエの炊き込みご飯に、つぼ焼き。海の幸いっぱいで幸せです。

部屋にバス・トイレはないけれど、そんなことはおばちゃんになると関係ないですし(正しくおばちゃんになっていっている気がするw)。波音を聞いていたら、いつの間にか眠っていました。



 「殉教の人です」?


最近人に紹介される時に、「殉教のこと研究している人ですよ」とか「殉教の人です」と言われることが多くなりました。「殉教の人」って・・・(~_~;)

だけれど日本のキリシタンにはなぜ、「殉教」の印象が強いのかと言えば、そこには一つのからくりがあります。長い鎖国が解けた明治時代、キリシタンの時代を知ろうという気運が高まったのですが、日本には史料がほとんどなく、外国の史料に頼らざるを得ませんでした。そして神父たちが残した記録を翻訳するところからキリシタン研究が始まったのですが、そこにはおのずと殉教者の話が多かったのです。それで「キリシタン⇒殉教」となったのですね。

しかしキリシタンは「殉教」だけした訳ではないのだから、キリシタンの「生きた」姿にもっと触れていきたいものです。ああ今、佐渡にいるのね。新潟唯一の殉教地に来られて感謝~!(こんなこと言っているから「殉教の人」って言われるのか笑







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