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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 北国の使徒たち 3



今日は佐渡をもう少しだけ見て、午後には直江津へと渡ります。たらい舟で知られる佐渡の小木港は、現在でこそ両津港よりも小規模ですが、昔は距離的に本州に近いため、島一番の港町だったのだとか。

つまり宣教師が寄港した可能性大! そんなストーリーのある道を通りながら、今日も新潟をめぐります (o^^o)



朝餉


朝も焼き魚とあおさのりの味噌汁。「朝食」というより「朝餉(あさげ)」だなと。

朝の海もキレイです。窓の外には猫。視線が合うとポーズを取るなんて、あざといです。体から心までチャージできたような気がして一日をスタート♪


朝の海
朝の海


日本基督教団 佐渡教会


今日はお昼頃カーフェリーで直江津に渡る予定なので、小木港に向かいつつ、何ヶ所かだけ寄ろうとしています。

こちらは日本基督教団の佐渡教会。日本基督教団に入る前はプロテスタントの組合教会でした。

組合教会では1888年から新潟開拓を始めましたが、いろいろと難しいこともあったようで、当時から今まで途絶えることなく存続しているのはこちらの佐渡だけと聞いています。新しい会堂のようですね。



佐渡歴史伝説館


「残った時間と行ける地域を勘案すると、ここくらいしかなかった」という、若干消極的な理由で訪れたのが佐渡歴史伝説館。

おけさプランに付いてくるクーポンでお買い物もできるので、使い切るにもちょうど良く(ここも背中押されてる感が)。

北朝鮮の拉致被害者、ジェンキンスさんが働いているということも、どことなく気になったものですから。来てみたら、コッテコテの観光施設ですね。。来て良かったのかなぁ (;´Д`)


佐渡歴史伝説館
佐渡歴史伝説館
佐渡歴史伝説館
日本庭園

ロボットが解説


中に入ると、短いイントロダクションの後、各自で回るベルトコンベヤー式の見物になります。

順路を進むと、テーマごとロボットが解説してくれる仕組みです。ロボットの出来は精巧で、これを目玉にしただけはあります。

ほほーと感心しはするものの、内容の浅さは否めないかもしれないですね。



順徳天皇関係資料
日蓮
日蓮
世阿弥


北村西望作の世阿弥観音


順徳天皇関係資料は、本物なのか分かりませんが、本物ならかなりすごい物。世阿弥ロボットの舞は、ギクシャクしているけれど、演出が良かったです。

北村西望作が制作した世阿弥観音というものもあり、美術ファンなら一見の価値ありでした。幽玄さが空恐ろしいほどに表現されていて。

その一方で、こんなコテコテ観光施設で展示されるべきものなのかなという疑問も。たくさんの人が見てくれるという意味では良いのでしょうけど。その他、夕鶴や佐渡おけさ、安寿と厨子王の物語が自動の紙芝居で繰り広げられていました。ザッと佐渡にまつわるエピソードを概観するするための、施設であり展示なんだなと、終わりがけになって悟る私。



昔話
紙芝居的な
自動で進む
夕鶴


瑞鳥


佐渡に渡ってくる時に新潟港で見たこの像は、人間国宝の佐々木象堂という人によるものだったんですね。

こちらには出口手前に佐々木象堂コーナーがあり、人間国宝の技の冴えを見ることができます。ラストには「ここでしか買えませんよ」という、貴重な象堂グッズ販売も。

頑張って商品開発しているんだと思いますが、「ストラップ」はもう売れないかなぁ・・・と、老婆心ながら思いました。



佐々木象堂
作品
作品
象堂グッズ

ジェンキンスさん


拉致被害者ジェンキンスさんが働いているのは、こちらの観光施設のお土産屋さん。今日は出勤日だと予めHPで調べてから来たのですが、会えませんでした。

「充電中」とあるのは、お休みか出勤前のことを表しているもので、「今日は11時には出勤するんですけど」と申し訳なさそうに言われました。

11時まで待っていることもできないので、「あ、いいんです、いいんです」とジェンキンスさんが箱詰めしているお菓子を購入。クーポン使い切れたし、売上金の一部が拉致被害者救出のために使われるということで、よかよか。柱には「今私は人生の中で一番幸せです。」と署名入りで書かれていました。それを知っただけで目的達した気がします☆



収益の一部が
一番幸せです
日本庭園
サギソウ

真野宮


佐渡歴史伝説館の隣に神社があるので、少し見てみようと来てみたら、こちらが真野宮なんだとか。

えっ、じゃあここに順徳天皇いたんやん!

それもうちょっとアピールしなくていいのかな?歴史伝説館よりも・・・。

室町時代に流された世阿弥といい、鎌倉時代に配流された順徳天皇、日蓮といい、その時代には佐渡が地の果て的に考えられていたことが分かるのですが、そこに現代の拉致被害者が住んでいることは何と捉えていいのか。

考えてみれば、曽我ひとみさんも、ある日突然この真野地区から拉致されて行った訳で。現代では島流しなんてことはされないけれど、辺境の島という立ち位置は変わらなくて、それゆえの悲哀を受けていることも事実なんだなと思いました。こんなに風光明媚な島なのに。



真野宮
真野宮
真野宮


 小木港から直江津へ!


小木港のフェリー乗り場


佐渡島の、南下するほど人家が少なくなる道を走りながら、海と山の風景を堪能。もう一日あったら、海に出て、山も登ってみたかったな♪

到着した小木港のフェリー乗り場は、すがすがしいほど閑散としていて、フェリーが来るときだけ活気づきます。それでも人が滞留しているのは一時間程度なので、再び静かな時間に戻ります。

まるで満ち潮と引き潮のようですね。さっき見た世阿弥の姿がまだチラチラしていて、「風姿花伝(花伝書)」の言葉がよぎります。「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」――。1400年頃にこんな言葉を書けたなんて、やっぱり天才だったんでしょうね。天才だったから、誤解と嫉妬を受け島流しにまでになったのでしょう。

思えば桜や梅が一年中咲いているなら、誰が心を動かされるでしょう。花は一年中咲いておらず、咲くべき時を知って咲いています。人もそうであるべきですね。咲くべき時に咲いてこその命です。また花は散り、花は咲き、常に変化しているように見えて、やはり花。私の時間は限られているけれど、誰かに引き継がれたものが、また花となって咲くこともあるのかと。そう、だから人は花であり、種なんですね。

近代になるまで両津港はなく、小木港が佐渡の玄関口だったから、世阿弥もここを通って行ったんでしょうね。それでこんなことを思うのかと。今目の前を通って行くのは、林間学校(?)の小学生たち。脚長っ!(人類の進化をここで感じるとは (;^ω^)



不審船・・・
ブリカツ
トキ

国道!?


ふと見ると「この航路は国道350線です」と壁に地図が掛けられていました。新潟港から両津、両津から小木、更に直江津と、今回は知らないうちに航路の350線をコンプリートしようとしていたみたいです。

ゆる系歴史クラスタの私には、こういうことがちょっとうれしかったりして。400年前の宣教師とそれ以前の流配者たち、そして近代のクリスチャンが通って行った道を、いみじくもコンプできたことが (*´▽`*)



小木港
小木港
たらい舟のキティ

小木港


船上から見る小木港は、正にフォトジェニック!(写真を撮る腕さえあれば...)

キリシタンに興味を持ったお陰で、いろんな所に行く機会ができ、ついでみたいに多くのことを学べ、私は幸せ者ですね。

出航する時、海中から引き上げられるごっついワイヤーロープを見ながら、運命の赤い糸ではなく、運命の赤いワイヤーロープで結ばれていたいと思いました。主とも神様とも☆彡




水平線
佐渡汽船のフェリー

船内


船内は団体旅行の観光客ご一行様で3分の1程度が埋まり、思っていたより繁盛しているんだと一安心。

佐渡には寂れてほしくないんですよね、キリシタン史跡めぐりをする人のためにも(そもそもキリシタンを目的に旅する人がどのくらいいるか分からないけど)。

「今でもこんな団体旅行するんだ」と驚いてしまうほど、昭和の雰囲気全開のご一行様の様子を眺めながら、地方に来てみてこそ分かる経済の流れを感じました。



平和記念公園


そうこうするうちに直江津港に到着。上陸したのは上越市です。

上越でも行きたい所が一つ。上杉謙信や直江兼続も気になるところですが、今回はそこまで回る余裕がないので、直江津収容所跡だけ(マイナーさでは他を遥かに上回りますが^^;)。

直江津収容所跡は、今は平和記念公園となっていて、普通の一軒家のような展示館があります。外にあるのはオブジェや碑。公園だからキレイに整えられた感じ。でも見なければならないのは実際にあった歴史だから、展示館へ行きましょうか。



平和記念公園
石碑
案内図
オブジェ

平和記念公園展示館


平和記念公園展示館の前に座っているのは、目を閉じたコアラ。大切そうに木を抱えています。

なぜここにコアラかというと、大戦中、大勢のオーストラリア人捕虜がここに収容され、強制労働させられていたからですね。

そのうちの60人が亡くなっています。それで目を閉じているのかな。大切に抱えているものは何なんだろう――?



平和記念公園展示館
平和記念公園展示館
内部
展示

中に入ると、まず直江津収容所に関するビデオを見せてくれました↓

直江津収容所の想像図


平和記念公園展示館の中に、ボランティアで管理をしている女性2人がいて、話をしてくれました。

60~70代に見える女性たちが子供だった頃には、まだ直江津収容所の建物が建っていたのだとか。子供心にも恐ろしく幽霊でも出そうな廃墟として。

一通りのことはビデオで学べるのですが、壁のパネルで語られることには及びません。ここは時間をかけて詳らかに見ていくことにしました。

戦時中、国内には91か所の捕虜収容所がありましたが、中でも直江津収容所は特に死亡率が高くなっています。劣悪な環境で虐待を受け、その上ここから工場に送られて毎日強制労働をさせられていたので(送り先となった企業は今での名高い大企業ばかり。日本の重産業は捕虜によって支えられていた部分があったことを知りました)、死亡率が2割にもなったようです。

終戦後、当時の収容所職員15人が裁判でその責任を問われ、そのうちの8人が戦犯として処刑されましたが、これは日本で一番多い数。紀念公園や展示では、その8人も戦争による被害者のように捉えられていますが・・・。どうなんだろう。

アメリカの元五輪陸上選手ルイス・ザンペリーニも戦時中直江津収容所に入れられ虐待を受け、解放されてから心的外傷に苦しんだそうです。しかしその後キリスト教に救われて心が変わり、1998年の長野五輪聖火リレーの走者として上越市を訪れたことを、キリスト教メディアの記事で知り、今回私はここに来たのですが、その話はあまりフィーチャーされていないようでした。

地元では地元の論理があり、戦犯として処刑された人まで被害者に加えた顕彰活動が行われている模様。直江津収容所のことは20年ほど前から周知されるようになってきて、今では小学校からも社会科見学で訪れるのだとか。このような歴史を踏まえて、これからは平和的な日豪交流をしようという流れになっているように思いました。

良いことかと。認知度が上がり、子供たちは学び、平和に思いを馳せる・・・。個人的にはどことなく、置き忘れているものがあるようにも感じましたが。。



展示
解説パネル
収容所跡
解説パネル


 松之山へ行きます (''◇'')ゞ


ひた走る


さて次は十日町へ。行く時間がなければ省略してもと思っていたんですが、時間余ったので、行くことに意味があるのかなと思って。

思ったより遠いですね。山深い所まで入ってきました。今まで沿岸にいたので、陽光が降ぐイメージでしたが、山の方はまた違った印象。新潟広い。山も深い。なめてました。

目指しているのは十日町市の松之山という所。いくつかの寺にキリシタン遺物のマリア観音があると、本で読み、ネットにも載っていたものですから、以前から気になっていたのです。「キリシタン」という言葉のハニートラップに引っ掛かっているような気もしますが(どんなトラップ?)、せっかく新潟まで来ているのだから一度見ておきましょう☆



松陰寺


着きました。こちらがマリア観音があるという松陰寺。「1966年、元立教大学総長高田茂博士が来て全国に三体しかない観音を発見した」ことで、知られるようになりました。

看板によると隠れ切支丹のマリア観音だけでなく、マリア地蔵まであるそうですね。「秘仏」と書いてありますが、見学可能のよう。

境内には七福神、極楽地蔵、商売繫盛稲荷と並び、その横に「聖母観音マリア」像が。全部新しい石造物で、誰かの寄進で建てられたもののよう。経済的には潤っていそうですけども、総花的、かつ無節操な光景に新興宗教の施設に入り込んだような気分になります。

しかし、ここは1653年から続く由緒ある曹洞宗のお寺。「聖母観音マリアって何!?」とキレたくなる心を鎮めつつ、気を確かに持って、マリア観音像参拝所へと進みます。



松陰寺
七福神、極楽地蔵
庚申塔
聖母観音マリア

「マリア観音」!?


「マリア観音像参拝所」と書かれた緑のビニールカーテンをくぐると、ガラス越しにマリア観音とマリア地蔵を見ることができます。

高田茂って人は、最初このマリア観音を「発見」して、全国に3体しかない貴重なものだと住職に告げて喜ばせ、町内で次々にマリア観音やマリア地蔵を見つけて、この小さな町にキリシタン・フィーバーを起こしました。それに町おこしの期待を寄せた行政も加わり、新潟景勝100選にも「隠れキリシタンとマリア観音の 里」がランクインするまでに。


マリア観音って何ぞや?


しかしマリア観音とは一体どんなものかというと、キリスト教禁令下で隠れて信仰を守るキリシタンたちが、中国製の安価な子安観音像をマリアだと思って(仮託して)祈った像のこと。隠れキリシタンがいてこそ、ただの観音像がマリア観音像になるのです。だから外見上は区別ができません。高田茂という人が形状で「全国に3体しかない」と判断したのは、誠に不可思議で、基本知識の無さを露呈しています。

実際、松之山や十日町にはキリシタンがいた形跡がありません。キリシタンがいたら、棄教しても類族として宗門改帳に記載されるので、宗門改帳を持っている松陰寺では十分把握していると思います。キリシタンがいなければ、マリア観音像も存在し得ないのです。

もともと子安観音は、子供の死亡率が高かった昔、供養のために多く作られ、ここだけでなく全国各地に残されているものです。子供を抱く母の姿に「マリア観音か?」と連想するのは、キリスト教に触れた現代人の感覚で、昔の人は子安観音だと思い、幼くして死んだ子供や水子供養の意味で建てていたのです。


「立教大学総長高田茂博士」!?


それにしてもキリスト教主義の立教大学の総長を務め、博士号まで取っている人が、こんな初歩的なミスを犯すだろうかと疑問に思い、立教大学史料センターのサイトで歴代総長を調べてみたら、そこに「高田茂」の名はありませんでした。

まさか経歴詐称・・・!?と、立教大学史料センターの方に問い合わせてみたところ、やはり歴代総長、学長、名誉教授、教授および教員、評議員の中にも「高田茂」はおらず、卒業生の中に年代的に一致する「高田茂」がいるが、西陣織業者だということでした。その人物が在野で研究し、本も書いたかもしれないが、なぜ総長の名を使ったかについては不明だと返答をいただきました。

松陰寺の住職の息子が書いた「蘇るマリア観音」(昭和52年国書刊行会)には、高田茂氏が初めて現れた時、「元立教大学総長、評議員」と書かれた名刺を出したとあるので、高田茂は確信犯です。最初から名刺まで準備していたなんて。後では「名誉教授」と名乗ったとその本に書かれています。

それで町おこしができ、有名になったので、高田茂を「松之山の恩人」とまで呼んでいて。だけど、どんな意図があって村人を騙したんでしょう。騙すつもりもなく、キリシタン愛が村人への思いやりと結びついてそうしたようにも思えますが、今もこの寺でマリア観音像をお守りするために寄進を募っているのを見ると、頭を抱えたくなります ((+_+))



マリア観音参拝所
解説板
マリア観音
マリア地蔵

ナビで向かうと


「高田茂問題」に頭を悩ませつつ、高田茂がが発見したという他のマリア観音をも見てやろうという気に。アドレナリン放出中です。

しかし次なる陽広寺の住所をナビに入れて向かうと、途中で道が消失。どうしてだろう?


美術博物館


ナビの精度が落ちているのかなと、隣の道に移って、登っていくと美術博物館というものが。

敷地内から出ている湧き水は名水だそうで、汲みに来ている母子がいました。その人と、電気工事に来ている人に陽広寺のことを聞きましたが、知らぬとのこと。

地元の人も知らない寺ってあるのかな??


苔むす

名水

陽広寺?


不思議に思って周りを見回っていたら、背丈ほどもある草の向こうに、わずかに家屋っぽいものが。

お堂かもしれないと踏み分けて行ってみると、ありました!それらしき・・・耐震補強中のお寺が。無住に見えますねぇ。それで地元の人も知らなかったのか。疑問氷解。

高田茂が松之山で最初に見つけたマリア観音像は、陽広寺の石段の下にあると前出の本に書いてあったので、石段を下りて行ってみましょう。苔むし方がハンパなく、秘境感さえ漂っていますが。



陽広寺本堂
石造物
石段

マリア観音!?


下りて行くと、車道に通じていて、そこはもう秘境感ゼロでした。

そしてそれらしき像を探してみると、「こ、これかー!」という石造物が。

子供を抱いた像は一体だけなので、これで間違いないでしょう。有名コメディアンの変顔を思い起こさせるマイルドな笑みを浮かべた・・・観音様なんでしょうか? 観音像とも言い難い人間的な顔つきで、マリア像には遥かに遠い印象です。乳房をまるっと出しているのも、キリスト教の聖像では、ないかなーという。。



参道入口
石造物
「マリア観音」??
花々

湯本の薬師堂


それではもう1体。越後の奇祭「婿投げ」や「墨塗り」が行われる湯本の薬師堂に、その像があるというので、観光も兼ねて。

薬師堂は観光地だけあって、すぐに見つかりました。「婿投げ」は前の年に結婚した婿を、薬師堂境内から高さ5メートル下の雪の上に投げ落とす豪快な祭。

しかしこれは略奪結婚の名残りで、よそ者に集落の娘をとられたという若い衆の腹いせが形を変えたものだと、解説板に書かれていました。略奪婚か、現代でも人の奥さん奪うとかをそう言うけど、昔はほんとに略奪したり、誘拐していたんだから質が悪いというか(いや、今の方が質が悪いのか分からないけど)、聖書にも、古代ローマの伝説にもありますね。

江戸時代までは口減らしのための間引きも頻繁に行われていました。子供の死亡率も高く、死産することもあり、その上人口調整のために嬰児を間引くこともあった訳で、それに対するやるせなさ、悲しみと、これ以上苦しまないでほしいという供養の心が合わさって、各地に子安観音があるならば、子安観音は子安観音として残すのがいいと思います。それが負の側面を見せるものであっても。

それなのに「マリア観音」だとか言って、キリシタンがいたことの証左にしようとしたり、そんな貴重なものがあるんだから松之山はプライドを持つべきだとか言ったりするのは、出過ぎたマネではないでしょうか。不遜な言い方に聞こえるかもしれないけれど、歴史に真摯に向かえよと、言いたいです。



湯本の薬師堂
湯本の薬師堂
周辺地図
石造物

マリア観音!?


そんでもって、マリア観音はというと、本堂向かって右手の覆い屋の中にありました。

ちゃんと「子安観音」と標柱に書かれています。

そーだよ、子安観音だってば。

「子安観音」と書かれていたので、ちょっと怒りを引っ込めて冷静に観察できました。すると、こちらの像はさっきより更に過激で、まるっと乳房を出した上に、そこからこんこんと水が流れ出す仕様になっています。もはや赤子に飲ませる訳でもなく、前に水を出している辺りは手水所の役割がメインになっているようで・・・。大体現代の技術がなければ、乳房からステンレス製の管出せませんよ。何時代の物ですか?

これを禁教令下のマリア観音像だなんて、よくもよくも言えたもんです。おい高田茂、表出ろ!ゴルルァ!と、心の中で吼えました。



薬師堂
子安観音
参道

不動滝が美しい


「婿投げ」が行われる薬師堂は、前が急坂になった所に建てられていて、そこから眺める不動滝は一幅の絵。

台風が過ぎた後の水量を増した様子がまた良いようで、写真を撮りに来ている人がいました。

松之山は温泉地でもあるので、源泉から上がる湯けむりもナイスです。ここ、キリシタンやマリア観音で町おこししなくても、観光資源たくさんありそうですけど。

松陰寺の参拝所にはマリア観音像アピールする真新しいチラシが置かれていて、寄進を募っていたけれど、他の所では静かにその旗を降ろしているように感じました。旗振り役の高田茂も経歴詐称だったのだし、そろそろやめてはどうですか?という感じです。心ある新潟県民の皆さん、松陰寺に働きかけて正しいところに落ち着かせてもらえませんかね☆



不動滝
湯けむり


 上越に戻ります☆


田園風景


では上越市へと戻ります。本日の宿は温泉施設にくっついた湯治場もできそうなホテル。

延々と続く田園風景。米どころですね。欠け米で作ったおかきも美味しそう。

シラサギがふわりふわり飛び、時折緑の間から顔を出します。昔は桃色のトキも行き交っていたんでしょう。田園って豊かだな (o^^o)


カトリック直江津教会


上越市に戻ってまだ明るいので、教会を少し回ります。明日は朝から富山に向かうので、市内を回る時間はなさそうですし。

カトリック直江津教会は保育園を併設していて、この時間帯はお迎えラッシュ。「教会にこんなに人が来てるー!」と、一瞬喜びましたが、そうではありませんでした。

教会が普通に人で溢れてラッシュだったら、どんなにいいか。


日本聖公会 直江津聖上智教会


こちらは直江津聖上智教会。聖公会の教会です。幼稚園を併設しています。

しかしそれより上の年代の子供たちも来ているみたいで、他にも活動していることがあるのかもしれません。

どちらの教会も子供関連のことをしているというのが希望的ですね。教会を回っていると、保育園や幼稚園の閉園のお知らせを見ることが最近多いですから。


食べて寝ます


では今日はもう、ご飯食べて温泉つかって寝ます。縁あって富山在住の人たちと連絡を取れるようになり、明日は魚津で待ち合わせて殉教地に行く予定です。人と過ごす恵みも、また別に大きくありますよね。感謝です♪




答えを答えとして


人には、答えを答えとして考えられないという盲点があり得るのではないでしょうか。例えば旧約4000年で人間が神様に告げた問題がどれほど多かったか。数千万の苦痛の中で流した人類の涙、人々の問いが祈りになり、神様に伝わりました。だから神様は、幾重にも積まれたその問題を解決する答えをイエス様を通して与えました。

しかし人々は、自分が抱えている問題の答えとしてもっと強い王、もっと強い力、もっと強力な武器、もっと強力な権勢を望み、「愛しなさい」、「赦(ゆる)しなさい」という神様の声を問題の答えとして認識できませんでした。イエス様が十字架にかけられ亡くなってから、イエス様の言葉が答えだったことを悟った人たちによって福音が伝えられ、次第に人々がその貴さを知るようになり、隣人愛として広がるようになりました。


愛が差別を撤廃し、愛が不遇な隣人を助けさせ、貧しさに打ち勝ち、愛が病気の苦痛の中にいる人を救い出すということを、後になって悟ったのです。イエス様の時代に生きたとしても、自分の考えに囚われている人は答えを答えとして考えることができなかったけれど、神様の人類に対する答えがキリストの言葉にあることを悟った人々が、その答えを行うことで世界を変えていったのです。

キリストの残した言葉に答えがあり、今も語り掛けていることを認識していきたいものです (#^^#)






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